自己紹介の記事で、「過去の単身赴任が、家族との時間の大切さに気づかせてくれ、退職を考え始めるきっかけになった」と書きました。今回は、その単身赴任の話を改めてじっくり書いておこうと思います。
当時の自分は「仕方がない」と腹をくくって赴任した側の人間でした。でも今振り返ると、あの1年がなければ、早期退職という選択肢を真剣に考えることもなかったと思っています。
突然の打診と、5つの「行きたくない理由」
きっかけは、会社の大規模な組織再編でした。上長を含む組織が一気に変わり、ある地方支社の部長ポストをてこ入れする必要があるという話が持ち上がりました。
1月下旬、新しい組織の上長から打診がありました。
私の中には、はっきりとした「行きたくない」という気持ちがありました。その理由は、自分でも整理できていました。
- 家族と離れたくなかった
- 異動先のメンバーとほとんど面識がなかった
- その地方支社は独自色が強く、外から入ってなじむのが難しいと聞いていた
- これまで一人暮らしをしたことがなかった
- 単身赴任手当は出るものの、二拠点生活は経済的な負担が大きい
希望は上長に伝えました。しかし2月中旬、業務命令として受け入れざるを得ない状況になりました。
企業人として、仕方がない。そう腹をくくって赴任することにしました。
数年を覚悟して向かった赴任先、でも1年で終わった
赴任期間は、最初から決まっていませんでした。組織再編の状況次第では、3年以上は続くかもしれないと覚悟していました。「子どもが大学を卒業するまで帰れないかもしれない」という可能性も、頭の中にはありました。
結果的には、会社の組織再編が一巡したこともあり、1年で帰任できました。当初の覚悟を思えば、救われた気持ちでした。ただ、その1年は、私の中で思いのほか大きな時間になりました。
職場まで徒歩15分——「自由な時間」が生まれた
赴任先では、職場まで徒歩15分の場所に住みました。
それまでの通勤は電車で片道1時間以上かかっていたので、この変化は想像以上に大きかったです。毎朝、通勤に使っていた時間が丸ごと手元に戻ってきた感覚でした。
その時間を使って、毎朝ジョギングやウォーキングをするようになりました。体を動かすための習慣でしたが、実際には「頭を動かす時間」になっていました。一人で歩きながら、ぼんやりと、でも真剣に、自分の人生のことを考え続けていました。
妻との「すれ違い」で気づいたこと
赴任中、妻とはLINE通話で定期的に連絡を取っていました。でも、「気軽に連絡する」ということが、思いのほか難しかったです。
相手が今何をしているか、どんな状況かがわからない。だから、ちょっとしたことでも連絡するのをためらうようになりました。
それまでの私たちは、食事をしながら、週末に一緒に過ごしながら、何気なく話していました。その「何気ない会話」が、いかに日常の中に自然に溶け込んでいたか。離れてみて初めて、その大切さに気づきました。
月に数回、自宅に戻っていました。帰るたびに、「普通に一緒にいること」のありがたさを感じました。それは、特別なことではなく、当たり前の日常でした。でも、その当たり前がなくなったとき、それがどれほど自分の心の支えになっていたかがわかりました。
毎朝の問い:「自分は何のために生きているのか」
毎朝のジョギングの中で、私はいつも同じことを考えていました。
仕事は、自分の人生の中で大きな割合を占めてきた。でも本当に、仕事が一番大切なのか。
家族と離れて生活してみると、答えははっきりしていました。自分は、家族と幸福に過ごしたい。それが、何より大切なことだ。
そして、そのためには健康でなければならない。だから、ジョギングをしている。でも、もっと根本的な問題がある。
赴任期間がいつ終わるかわからない状況で、残りの人生のうち、何年も家族と一緒に過ごせないとしたら——それは、人生にとって取り返しのつかない損失ではないか。
その問いが、毎朝、私の中にありました。
「FIRE」という言葉との出会い
自由な時間が増えたことで、読書や情報収集の量も増えました。そのなかで、「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という考え方を知りました。
経済的に自立できれば、早期退職も現実の選択肢になる。
その発想は、当時の私には新鮮でした。「定年まで働くのが当たり前」という前提で生きてきた自分に、別の道があることを教えてくれた言葉でした。
家族と幸福に過ごすためには、自由な時間が必要だ。自由な時間を得るためには、お金が必要だ。お金があれば、早期退職という選択肢が生まれる——。このシンプルな思考の流れが、この頃に自分の中で生まれました。
投資に本格的に取り組んだのも、この考え方がベースになっています。
あの1年が、今につながっている
帰任してからも、単身赴任中に感じたことは消えませんでした。
父が66歳で他界したこと(父の66歳死去と健康寿命の話)、役職定年という節目が近づいてきたこと(役職定年と「居場所」の問題)——こうした出来事が重なるたびに、単身赴任で感じた「人生の残り時間を家族と過ごしたい」という思いが、より強くなっていきました。
そして2025年9月、金融資産が5,000万円を超えたとき、シミュレーションで「2070年まで資産が枯渇しない」という見通しが立ちました。あの単身赴任の問いに、ようやく答えを出せる状況が整った、と感じました。
行きたくなかった。でも、行かなければ気づかなかった。
あの1年は、私に人生をしっかり考える機会を与えてくれました。今となっては、そう思っています。
※この記事は個人の体験に基づく記録です。

