2026年3月30日:部長最後の月曜日。悲しくはない、でも寂しい

退職日記
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2026年3月30日、月曜日。
16年間務めた管理職(部長)としての、最後の出勤日の前夜です。

部下たちはいつも通りデスクに向かい、年度末の業務の締めくくりに忙しく動いています。私も、いつも通り席に座って、いつも通り仕事をしています。ただ一つだけ違うのは、明日が「部長」としての最終日だということです。

積み上がる「最後」

ここ数日、「最後」という言葉が静かに積み重なってきています。

月次の業績報告書を作りながら、「これが最後だな」と気づく。
メンバーへのフィードバックを書きながら、「これが最後だな」と思う。
週次報告書を取りまとめながら、気づくといつも、その言葉がそっとついてきている。

どれも大げさなことではありません。毎月、毎年、当たり前にやってきたことです。でも今月は、そのひとつひとつに「最後」という言葉がそっとくっついてきます。

業績面については、明日が最終日とはいえ大どんでん返しはない見込みです。駆け込みで何かが大きく動くこともなく、見込み通りに無事着地しそうです。

「最後くらい大きな花火を打ち上げて終わりたい」なんて気持ちは、正直ありません。それよりも、「静かに、きちんと締め括れること」の方が、今の私には大事に思えます。

感謝はある。でも「申し訳ない」

部下や関係者への感謝は、言葉にならないほどあります。それは本当のことです。

でも今日の私の胸の中で一番大きいのは、感謝よりも先に、「申し訳ない」という気持ちです。

部下たちは、私が明日で部長を外れることは知っています。でも、6月末に退職するということは、まだ正式にアナウンスしていません。気づいている人もいるかもしれないし、まったく知らない人もいるかもしれない。

そんな中で「お疲れ様でした」「明日で最後ですね」と声をかけてくれる部下たちへの、なんとも言えない後ろめたさ。自分が決めたことで、組織に負担をかけてしまうことへの罪悪感。

それでいて、本当のことを言えない。ただ、心の中で抱えているだけです。

明日、会社に行って部下から言葉をかけられたとき、自分はどういう顔をして、なんて答えればいいのか。正直なところ、「できればテレワークで静かに済ませられないか」という思いすら、頭をよぎってしまいます。

初めての「年度末の迎え方」

16年間、管理職として年度末を迎えてきました。

「来年度こそは」「次の体制ではこうしたい」「来期の目標はこう設定しよう」——毎年、次への期待を持って年度末を締め括ってきました。

でも今年は違います。

部下にとって私は「明日で部長を外れる人」です。ただ、その先に「6月末に会社を去る」という事実がある。その全体像を知っているのは、まだごく一部の人だけです。

次がない年度末というのは、こんなに不思議な感覚なんだと、今日初めて知りました。

悲しいわけではない。泣きたいわけでもない。でも、どこか空洞のような、しんとした「寂しさ」がある。

4月以降の「空白」への不安

そしてもう一つ、今の私を憂鬱にさせているのが明後日からのことです。

4月以降、私の具体的な業務がまだ明確になっていません。上司の立場になってみれば分かります。6月に辞めると決まっている人間に、新しいプロジェクトや重要なミッションはアサインしにくい。

4月末までは、前年度の人事考課や賞与査定の仕事が残っているため、まだやるべきことがあります。問題は、ゴールデンウィーク明けです。

これまで、仕事のモチベーションは「組織をどうするか」という責任感から湧いてきていました。それがなくなった今、新しいモチベーションを見つけることができずにいます。

私には40日以上の有給休暇が残っています。これまで「休むと仕事が回らない」と気を張り、ほとんど使えずに貯まり続けてきた有給です。いっそのこと、GW明けからこれをすべて消化してしまおうか——そんな考えも浮かんできました。まだ決めてはいませんが、頭の片隅に居座り続けています。

あと92日、とカウントしている自分がいる

今日、ふと気づいたら退職まであと92日を数えていました。

毎朝、意識しているわけではありません。でも気がつくと、残りの日数が頭の中にある。

これはなんなのだろう、と自分でも不思議に思います。

楽しいことが待っているから、カウントダウンしているのか。次の人生が始まることへの期待から来ているのか。それとも、33年間の社会人人生に区切りをつけることへの、けじめのような感覚なのか。あるいは、この長かった日々が終わることへの、悲しさや寂しさの裏返しなのか。

正直、自分でもよくわかりません。

はっきりとした「楽しみ」でも「悲しみ」でもない。でも確かに、今日も私は残りの日数を数えていました。

自分で決めたのに

今日一番正直に言葉にするとしたら、こういうことになります。

「自分で決めたことなのに、なぜこんなに切ないのだろう」

誰かに強制されたわけじゃない。悩んで、考えて、シミュレーションして、自分で選んだ道です。それなのに、今日この月曜日の夕方に、こんな気持ちになっている。

きっとこれが「節目」というものなのかもしれません。自分で決めた節目でも、迎えるときにはちゃんと胸に響くものがある。

「悲しくはない、でも寂しい」——今日の私の気持ちを一言で表すなら、そういうことです。明日、なんとか最後の一日をやり遂げてこようと思います。

次は 退職前の4月。静かな期初と次の人生への準備

著者プロフィール
もも吉

33年間、IT企業で技術職・管理職として働いてきました。神奈川県在住、妻と大学生の子と3人暮らし(もう1人の子は社会人として独立) 2018年から投資を始め、資産形成を続けてきましたが、役職定年・職場での消耗・健康寿命への意識が重なり、2026年6月に56歳で早期退職することを決めました。このブログは、その決断と準備の記録です。

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